巨木と化した杜仲畑の再生

杜仲の栽培

杜仲の一大産地とされている長野県…

1972年に長野県の箕輪町で初めて杜仲の栽培が始まりました。

養蚕業の衰退により荒れ放題となった桑畑の代替えとして導入された杜仲畑は、1970年代の杜仲茶ブームにより伊那谷を中心に大きく拡大していきました。

しかし、そのブームもすぐに下火となり、再び90年代にブームとなりましが、そのブームも過ぎ去り、需要の減少と生産者の高齢化、後継者不足など様々な理由で、時の経過と共に伊那谷からその姿を消していきました。     

4年前、私たちが事業承継し杜仲茶の製造に携わった当時、県内では杜仲茶の原料となる杜仲葉は殆ど手に入らい状況でした。

杜仲茶を作るためには原料となる杜仲葉が必要です。しかし、その原料が全く足りない…

そこで、先ずは杜仲の苗の定植から取り組みました。休耕地を杜仲畑として有効活用する取り組みを始めた頃、原料確保に頭を抱えていた私たちのもとに地元の方から朗報がありました。それは、耕作放棄地となった杜仲の畑があるという情報です。

藁にもすがる思いでその場所を見に行くと…想像以上に巨大な大木と化した杜仲の林に驚愕。これを切り戻すだけでも相当な労力が必要で、林業の経験などない私たちには到底不可能と心に思いました。

これは諦めるしかないかなと思っていると、地元の林業に携わるエキスパートの方々が、この巨木と化した杜仲の木を全て切ってくれるという話が舞い込んだのです。その数140本、しかも無償で引き受けてくれる言うのです。箕輪町の人々の温かさに感動し、心から感謝しました。

切り出した杜仲の幹は、薪になるということで引き取って頂くことができたので、残った細枝は全てチップにしコンポストとして利用することにしました。

本当に芽吹いてくれるのか、心配事は続きます

いざ切り戻した杜仲の切株は、畑で栽培している杜仲の比ではありません。ここまで大きく成長した木を切り戻し、果たして切株から芽が出るのか、枯れてしまわないだろうかと心配で、毎日畑を見に行きました。

4月も半ばを過ぎると、既存の杜仲畑の木々は芽吹き始めましたが、巨木の畑は全く芽吹く気配がありません。

杜仲の木は、恐竜が絶滅した氷河期も生き抜くほど強い生命力があります。その生命力に期待するしかありません…

芽吹いた新芽成長し、草刈りも始まる4月下旬

四月も後半に入ると、気温の上昇とともに他の畑では芽吹いた新芽がすくすく成長し始めます。全く芽が出る気配がなかった巨木の畑を見に行くと、茶色い樹皮に小さな黄緑色の芽のようなものが…近づいてよく見ると、分厚い樹皮から小さな杜仲の芽が顔を出していました。

この時は、感動よりも一安心というのが本音です。畑の中で一人、思わず「よかった~」と声を出してしまいました。

一度芽が出るとその生命力は凄まじく、今までの心配が嘘のように新たな芽をどんどん出し、みるみると成長し、夏を迎えるころには立派な杜仲畑に様変わりしました。

その葉の大きさは、手のひらを超える大きさの葉もあり、杜仲の生命力を改めて実感しました。

切り戻した初年度は、縦に伸びた枝の葉を少し収穫しましたが、基本的には殆ど収穫しません。理由としては、大きく切り戻した初年度に枝を切って収穫すると木にダメージを与えてしまい、弱ってしまったり、場合によっては枯れてしまうからです。

このような取り組みで、現在までに耕作放棄地となってしまっていた杜仲畑を2ヶ所再生し、それとは別に2ヶ所から杜仲の成木を移植することで、計4ヵ所の杜仲畑を再生出来ました。

ここまで出来たのは、地元の方々の協力と、生産者の方々からの指導に他ありません。

本当に心から感謝してます。

この御恩に報いるためには、箕輪町が誇れるような杜仲茶を作り地域社会に貢献することだと考えています。これからも、お客様に喜んでい頂ける杜仲茶づくりに全力で取り組んでいきます。

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